大村智博士の紹介

大村博士

大村智博士と山梨大学

山梨大学の卒業生である大村智博士は、2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞されました。これは大村博士による新種の放線菌の発見と、その生産する抗寄生虫抗生物質エバーメクチン・イベルメクチンの発見による感染症への治療法に関する研究の業績が高く評価されたものです。
大村博士は、1935年に山梨県北巨摩郡神山村(現・韮崎市)に生まれ、1954年に山梨大学学芸学部(現・教育学部)に入学、1958年にご卒業されました。
本学では、大村博士のご功績を称え、ノーベル医学・生理学賞を受賞された2015年10月に山梨大学特別栄誉博士の称号を授与しました。

ノーベル賞受賞「抗寄生虫薬の発見」

大村智博士は1974年、静岡県伊東市川奈の土壌から新種の放線菌を分離した。そして米国メルク社との共同研究において、マウスに寄生する線虫の駆除活性を有する新規物質エバーメクチンを生産することを見出した。
1979年、放線菌の新種をStreptomyces avermitilisとして命名するとともに、抗寄生虫物質をエバーメクチンAvermectinと命名して発表した。
その後、エバーメクチンのジヒドロ誘導体であるイベルメクチンIvermectinを開発。これをもとにしたヒト用製剤メクチザンMectizanは、WHO等によるアフリカや中南米における熱帯病撲滅プログラムの中で、1987年からオンコセルカ症やリンパ系フィラリア症の特効薬として無償提供され、毎年約4億人もが服用している。これにより既に中南米ではオンコセルカ症が撲滅されている。
イベルメクチンはまた、動物の駆虫薬としても今日まで世界で最も多く使われ、食糧増産等に多大な貢献をしている。
大村智博士は、エバーメクチンの他にもこれまで約500種類を超える新規天然生理活性物質を発見している。これらの中には、抗癌の先駆物質として、また研究用試薬として生命現象の解明に多大な寄与をしているスタウロスポリンStaurosporineやラクタシスチンLactacystinなどがある。
2015年、大村智博士は「線虫感染症の新しい治療法の発見」によりノーベル医学・生理学賞を受賞した。

4億人の未来を救ったイベルメクチンとは

大村智先生は、静岡県伊東市のゴルフ場の土壌から放線菌(S.avermectinius)という微生物を発見し、1973年から米国メルク社と共同研究を行い、1979年にこの放線菌が生産する抗寄生虫薬「エバーメクチン」及びその誘導体である「イベルメクチン」を発見・開発しました。
「イベルメクチン」は線虫類やダニ、ウジなど寄生虫に対して高い効果があり、発売後1983年から20数年間、動物用の薬として最も多く使われ、畜産業の発展に貢献しました。
人間に対する薬としては、重症の場合に失明することもある寄生虫病オンコセルカ症(河川盲目症)及びリンパ系フィラリア症(象皮症)の特効薬となっています。イベルメクチンは「Mectizan」と命名され、1987年よりメルク社と北里研究所から無償供与が開始され、アフリカを中心に世界各地で年間4億人が服用しています。既に中南米のほとんどの国ではオンコセルカ症は撲滅を達成しました。現在もアフリカにおいてWHOの指導の下、撲滅プログラムが実施され多大な成果を挙げており、2020年代には撲滅を達成できると見込まれています。このように動物薬として優れているのみならず、予防と治療が困難であったヒト寄生虫感染症に有効な「イベルメクチン」の発見は最近四半世紀最大の発見として国際的に高く評価され、これらの研究により大村智先生は2015年10月ノーベル医学・生理学賞を受賞されました。
また、現在、イベルメクチンは商品名「ストロメクトール」として疥癬(かいせん)や糞線虫症の治療薬として日本を始め世界中で使用されています。

略歴

1935年
山梨県北巨摩郡神山村にて大村家の長男として誕生(7月12日)
1939年
父恵男らが流出を防いだ願成寺の木造阿弥陀如来及び両脇待像が国重要文化財となる
1942年
神山村立神山国民学校入学
1948年
神山村立神山小学校卒業
神山村立神山中学校入学
※神山中学校統合により韮崎町外一ヶ村組合立韮崎中学校となる(7月)
1951年
韮崎町外一ヶ村組合立韮崎中学校卒業
山梨県立韮崎高等学校入学
山梨県立韮崎高等学校卓球部に入部
1952年
山梨県立韮崎高等学校スキー部に入部
韮崎のスキークラブ入会
山梨県スキー連盟役員山寺巌と出会う
1953年
山梨県立韮崎高等学校卓球部部長となる
第7回山梨県スキー選手権大会長距離高校生の部で3位入賞
虫垂炎の手術時に大学進学を父から勧められる
1954年
山梨県立韮崎高等学校卒業
山梨大学学芸学部自然科学科入学
化学教授の丸田銓二朗に師事する・地学教授の田中元之進の調査の助手を務める
「スキーの天皇」と呼ばれた横山隆策に入門
第8回山梨県スキー選手権大会長距離競技一般の部優勝
1955年
第9回県下スキー選手権大会長距離競技一般の部優勝
1956年
第10回県下スキー選手権大会長距離一般の部優勝、同クラブ対抗リレーで韮崎スキークラブ優勝
第1回甘利山スキー選手権大会長距離競技青年の部優勝、同回転競技青年の部優勝、同大回転競技青年の部優勝
1957年
第11回国民体育大会冬季大会(青森県)スキー長距離の部で山梨県代表として出場
第11回県下スキー選手権大会長距離競技一般の部優勝、同クラブ対抗リレー韮崎スキークラブ優勝
第2回甘利山スキー選手権大会長距離競技青年の部優勝、同回転競技青年の部優勝
1958年
第12回国民体育大会冬季大会(兵庫県)スキー長距離の部で山梨県代表として出場
第3回甘利山スキー選手権大会長距離競技青年の部優勝、同回転競技青年の部優勝、同大回転競技青年の部優勝
第12回県下スキー選手権大会長距離競技一般の部優勝
田中元之進から山梨大学安達禎を紹介される
山梨大学学芸学部自然科学科卒業
東京都立墨田工業高等学校夜間部の教員となる
紅露文平塾長のもとでドイツ語を学ぶ
1959年
丸田銓二朗から東京教育大学小原哲二郎教授を紹介される
中西香爾(2007年文化勲章受章)の下でIR(赤外線吸収)スペクトル等について学ぶ
1960年
東京理科大学大学院理学研究科修士課程入学
都築洋次郎教授、森信雄講師の指導を受ける
1961年
東京理科大学80周年記念式典で学生代表として祝辞を述べる
祝辞は後に妻となる秋山文子の揮毫による
1962年
東京都立墨田工業高等学校卓球部を都大会準優勝へ導く
1963年
東京理科大学大学院修士課程修了
3月23日 秋山文子と結婚
高等学校教師を退職し、山梨大学工学部発酵生産学科教授加賀美元男の助手として赴任、微生物と出会う
1964年
東京理科大学薬学部教授山川浩司から秦藤樹が所長を務める北里研究所の研究員募集情報を受け、研究員採用試験に合格する
1965年
社団法人北里研究所に「北里研究所研究部 抗生物質研究室 技師補」として入所
ロイコマイシンの構造研究開始(67年完了)
セルレニンの単離と構造研究開始(67年完了)
1968年
東京大学薬学博士号取得(同大学薬学部教授岡本敏彦)
1969年
北里大学薬学部助教授に就任
日本薬学会視察団の一員としてヨーロッパ各地を視察
1970年
北里研究所奨励学賞受賞
東京理科大学理学博士号取得(同大学理学部教授都築洋次郎)
1971年
日本抗生物質学術協議会常任理事 八木沢行正の勧めで海外研究留学を視野にカナダ・アメリカへ赴く(3月)
マックス・ティシュラー教授のウェスレーヤン大学に客員研究教授として渡米(9月)
ハーバード大学教授コンラッド・ブロックと出会い、セルレニンの共同研究を行い、作用機序を解明。同大学ブロック研究室に机を用意される
1972年
後のメルク社会長となるワシントン大学医学部教授ロイ・バジェロスをはじめ著名な研究者と交流する
1973年
研究留学を終了し帰国(1月)
北里研究所抗生物質室長となる
メルク社と動物薬の発見・開発を研究テーマとした産学連携の共同研究覚え書を共同で作成、署名し、共同研究を開始(3月)
1974年
静岡県伊東市川奈で採取した土壌から新種の放線菌を発見しメルク社に送付
1975年
北里大学薬学部教授に就任(4月)
KMC(Kitasato Microbial Chemistry)セミナー創設
OS-3153の生産する化学物質「エバーメクチン」を発見
その後エバーメクチンを改良した「イベルメクチン」を開発
1977年
北里研究所大村研究室閉鎖の危機を独立採算制による運営で乗り切る
プロテインキナーゼ阻害剤スタウロスポリンを発見(11月)
1979年
「エバーメクチン」の発見と「イベルメクチン」の有効性等を国際学会で発表
1981年
「イベルメクチン」を動物用抗寄生虫薬としてメルク社が販売
社団法人北里研究所監事に就任
中国科学院院長沈基震と北京抗菌素研究所所長李喚委の招待により、中国との交流はじまる
1982年
北里研究所新病院建設案の上申書を提出(8月)
1983年
イギリス生物学者シドニー・ブレナー(後にノーベル賞受賞)と出会う
1984年
社団法人北里研究所理事・副所長に就任
1985年
アメリカ微生物学会の最高位「ヘキスト・ルセル賞」受賞、エバーメクチン発見等の業績が国際的に評価された
世界初の遺伝子操作による新規抗生物質メデルロジンの創製
1986年
日本薬学会賞受賞
1987年
ヒト用イベルメクチン製剤がオンコセルカ症治療薬として開発され、投与がはじまる
北里研究所所長選挙で水之江公英所長・大村智副所長に再任
1989年
マックス・ティシュラー記念講演会を創設
絵のある病院を目指して第1回人間讃歌大賞展を開催
絵のある病院「北里研究所メディカルセンター病院」開院
上原賞受賞(上原記念生命科学財団)
1990年
社団法人北里研究所理事・所長に就任
日本学士院賞受賞
1991年
ローベルト・コッホ研究所100周年記念式典で特別講演
アメリカ工業微生物生物学会チャールズ・トム賞受賞
プロテアソーム阻害剤ラクタシスチンを発見
1992年
紫綬褒章受章
フランス国家功労勲章シュバリエ章受賞
ドイツ科学アカデミーレオポルディナの外国人会員に選出される
1993年
ハーバード大学で特別講演
ノーベル賞受賞者であるコンラッド・ブロックおよびエリアス・コーリーと友好を深める
北里研究所生物製剤研究所を北本事業地へ移設
学校法人女子美術大学の理事に就任
1994年
心豊かな看護師を育てるため、看護専門学校を創設
ローベルト・コッホ研究所の名誉所員となる
ウェスレーヤン大学名誉理学博士号を授与される、授与式には夫婦で出席
1995年
アメリカ工業微生物学会功績賞受賞
藤原賞受賞(藤原科学財団)
日本放線菌学会特別功績功労賞受賞
1997年
女子美術大学理事長に就任
ローベルト・コッホ財団からドイツ医学関係最高国際賞
「ローベルト・コッホ ゴールドメダル」を授与される
タイ国プリンス・マヒドン賞受賞
1998年
日本化学会名誉会員に選出される
リンパ系フィラリア症撲滅作戦にも「イベルメクチン」を無償供与開始
1999年
北里看護専門学校付属棟「王森然記念館」がオープンし、王森然夫人及び王済夫を招待
米国国立科学アカデミー外国人会員に選出される
2000年
ナカニシプライズ受賞(米国化学会・日本化学会)
女子美術大学に大村夫人の名前を冠した「創立100周年記念大村文子基金」が創設される
文子夫人逝去
女流画家協会が「大村文子記念賞」を創設
山梨日日新聞社・山梨放送「野口賞」受賞
韮崎市名誉市民となる
2001年
日本学士院会員に選出される
エバーメクチンを産生する放線菌「ストレプトミセス・アベルメクチニウス」の遺伝子解析を発表
「北里大学北里生命科学研究所」創設 初代所長・教授に就任
2002年
「北里大学大学院感染制御科学府」創設 教授に就任
山梨県県政特別功績者として表彰される
フランス科学アカデミー外国人会員に選出される
2003年
山梨県に知的財産を蓄積することを目的とした「山梨科学アカデミー」を有志と創設(5月)
日本細菌学会特別名誉会員に選出される
2004年
アフリカのガーナとブルキナファソのオンコセルカ症撲滅作戦実施地域を視察
アーネスト・ガンサー賞受賞(米国化学会)
2005年
中国工学アカデミー外国人会員に選出される
郷里韮崎市に白山温泉オープン
ウェスレーヤン大学マックス・ティシュラー教授に就任
日本放線菌学会名誉会員に選出される
2006年
国立大学法人山梨大学名誉顧問となる
2007年
北里大学名誉教授就任
女子美術大学理事長再就任
国際化学療法学会ハマオ・ウメザワ記念賞受賞
韮崎大村美術館オープン
2008年
社団法人北里研究所と学校法人北里学園を統合し、学校法人北里研究所名誉理事長就任
北里大学北里生命科学研究所特別研究部門天然物創薬推進プロジェクトスペシャルコーディネーター就任
レジオン・ド・ヌール章受章
韮崎市に美術館の建物及び収集作品を寄贈
2009年
山梨科学アカデミー会長就任
2010年
テトラヘドロンプライズ受賞
2011年
国際微生物学連合アリマ賞受賞
2012年
学校法人北里研究所顧問となる
韮崎市市民栄誉賞受賞
文化功労者に選定される
2013年
北里大学特別栄誉教授就任
日本薬学会名誉会員に選出される
2014年
ガードナー国際保健賞受賞(カナダ・ガードナー財団)
韮崎市長特別表彰
韮崎市市制60周年記念講演を行う
2015年
朝日賞受賞
山梨科学アカデミー名誉会長就任
女子美術大学名誉理事長就任
山梨県特別文化功績者に選定される
文化勲章受章
ノーベル医学・生理学賞受賞
東京都栄誉賞受賞
世田谷区民栄誉章受章
山梨大学特別栄誉博士号を授与される
山梨県名誉県民となる
2016年
ウェスレーヤン大学名誉マックス・ティシュラー教授に就任
埼玉県民栄誉章受章
さいたま市民栄誉賞受賞
東京理科大学特別栄誉博士号を授与される
女子美術大学名誉博士号(芸術)を授与される
上海交通大学名誉博士号を授与される
東京都名誉都民となる
北本市民栄誉賞受賞
2017年
世田谷区名誉区民となる
2018年
英国セント・アンドリューズ大学名誉理学博士号を授与される

研究業績(主な生物活性物質の発見および開発など)

1967年
セルレニン(脂肪酸生合成阻害剤)を発見
1968年
抗菌抗生物質ロイロマイシン10成分を単離し、それらの構造を決定
1974年
抗真菌抗生物質ナナオマイシンを発見
1977年
スタウロスポリン(プロテインキナーゼ阻害剤)を発見
ヴィネオマイシン(プロリルヒドロキシラーゼ阻害剤)を発見
1978年
抗菌抗生物質フレノリシンBを発見
エラスニン(エラスターゼ阻害剤)を発見
1979年
抗寄生虫抗生物質エバーメクチンの発見およびイベルメクチンの開発
ハービマイシン(Hsp90阻害剤)を発見
ネオキサリン(細胞周期阻害剤)を発見
1981年
セタマイシン(V-ATPase阻害剤)を発見
半合成抗菌抗生物質ロキタマイシンを開発
1982年
半合成抗菌抗生物質テイルミコシンを開発
ヴィルストマイシン(抗ウイルス物質)を発見
1984年
カズサマイシン(核外輸送阻害剤)を発見
1985年
半合成抗生物質モチライドの発見
遺伝子操作による最初の抗生物質メデルロジンを創製
1986年
トリアクシン(アシルCoA合成酵素阻害剤)を発見
1987年
ヒメグルシン(HMG-CoA合成酵素阻害剤)を発見
1988年
アトペニンA5(ComplexII阻害剤) を発見
1991年
ラクタシスチン(プロテアソーム阻害剤)を発見
1995年
マクロスフェライド( 細胞接着阻害剤)を発見
アミデプシン(DGAT阻害剤)を発見
1996年
マジンドリン(IL-6阻害剤)を発見
アンドラスチン(ファルネシル転移酵素阻害剤)を発見
1999年
ボーベリオライド(ACAT阻害剤)を発見
フナレノン(インテグラーゼ阻害剤)を発見
2001年
抗寄生虫抗生物質エバーメクチン生産菌のゲノム解読
ナフレジン(線虫ComplexI阻害剤)を発見
2005年
アフィドピロペン(害虫防除剤)を創製・開発
2008年
グアジノミン(TypeIII分泌機構阻害剤)を発見
2012年
ウイッカロール(抗インフルエンザウイルス物質)を発見

主な共同研究者

粟谷寿一、池田治生、猪越淳嗣、今村信孝、岩井譲、岩月正人、宇津野秀雄、大岩留意子、大野紘宇、乙黒一彦、喜多尾千秋、金容必、小宮山寛機、塩見和朗、砂塚敏明、高橋洋子、高松智、田中晴雄、続木一夫、供田洋、中川彰、長光亨、野中健一、野村節三、林正彦、広瀬友靖、藤本智子、船山信次、増間碌郎、松崎桂一、松本厚子